2006年二月堂お水取りを観に奈良へ

「東大寺・二月堂 修二会(お水取り)・法隆寺・薬師寺と唐招提寺の奈良周遊」

2006年3月8日 上記の“たびともバスツアー”に参加してきました。

一日目

新宿を7時50分に出発・午後3時に奈良公園に到着。南大門脇の駐車場にとまったバスから下りました。

その後は自由見学なので、午後7時から始まる「お松明」まで東大寺の境内を散策しました。

奈良と云えば大仏、まずは大仏殿 から。

金堂(大仏殿)(国宝)

東大寺は聖武天皇が創始した国分寺制度の総寺として天平時代に創建されました。
そのうち大仏殿は二度火災にあい、現在のものは江戸時代に再建され、当初のものより規模は小さくなりましたが、
それでもなお世界最大の木造建築です。

中門の手前から見た大仏殿。               中門の中からみた大仏殿。
  

中門(重文)−金堂(大仏殿)の手前にある入母屋造の楼門(2階建ての門)。1716年頃の再建で、
中門の両脇から「コ」の字形に回廊が伸び、金堂の左右に至ります。

南大門

南大門(国宝)−平重衡の兵火(1180年)による焼失後、鎌倉時代の(1199年)に復興されたものです。
貫(ぬき)と呼ばれる、柱を貫通する材を多用して構造を堅固にしており、
天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としています。
門内左右には金剛力士(仁王)像と石造水平獅子1対(重文)を安置しています。
一番下は多分中門の中だろうと思います?。

 
 
 

 鏡池のワタカ?左下の写真をクリックして下さい。説明がでます。  二月堂への別れ道。     

大仏様を参拝してから、二月堂の方へむかいました。
左端は「花まつり
千僧法要記念宝塔で、クリックすると説明文になります。
右端は
行基堂です。中央は?

行基堂には像高80.9cmの「行基菩薩坐像」が安置されています。行基は、天平の大事業であった
大仏造立に欠かせなかった人で、大勧進に尽力されたけど、開眼法要を見ずに82歳で入滅されました。

共に国宝の「鐘楼」と「銅鐘(奈良太郎)」

 日本三名鐘「勢いは奈良の東大寺、形は宇治の平等院、声は近江の園城寺(三井寺)」と云われる
「梵鐘」の1つが吊られている「鐘楼」です
「鐘楼」は1210年頃(承元年間)栄西の再建、音響を分散さす為に壁が無く、音を籠らす為に屋根を大きく構成しています。

見物人が大勢押し寄せる為、道の両側には矢来が組まれていました。

二月堂

 「二月堂」は、回縁を持ち、斜面に建つ懸崖造で、752年(天平勝宝4年)創建されました。

本尊は大観音「金銅聖観音立像」と、修二会の本尊で実忠和尚が難波の海岸で拾って、
今も人肌の温もりがある七寸(約21cm)の小観音「十一面観音立像」で、共に秘仏です。
また、「二月堂」の真下、芝の斜面に赤い鳥居の小さな社が建ち、その隣に若木「良弁杉」が植わっていますが、
かって、樹齢約600年、高さ7丈の巨木があり、開山良弁僧正が2才の時、大鷲にさらわれ、
木のてっぺんに置き去りにされたといわれています。
昭和36年9月11日第2室戸台風で倒れ、今はその三世です。

堂の下には松明が並んでいました。松明が駆け上がる階段を上がってお堂のほうへ。

登りきると左手に休憩所があります。ここに松明の説明が貼ってありました。上左の写真をクリックして下さい。

二月堂からみた大仏殿です。

時間はまだ充分有るのに、カメラマンは三脚を立てる場所は決まっているので、もうスタンバイしていますし、
お堂の下の芝生にも見物客が待機していました。

若狭井のある国重文「閼伽井屋」

 本尊「十一面観音」に供える香水の閼伽(あか)は、二月堂右下、屋根の四隅に鵜を模った
雨漏り防止の留蓋瓦が葺いてある閼伽井屋の若狭井から、3月13日午前1時半頃汲まれます。
これを「お水取り」と云います。

その昔、実忠和尚の「神明帳」奉読による勧請に応じ、諸国の神々が次々と二月堂にやってきましたが、
若狭の遠敷明神は釣りをしていたため遅れました。それを侘び、閼伽(あか)水を献じると約束したところ、
黒と白の鵜が岩からとびだし、その穴から甘水が湧き出したので、石で囲って閼伽井としたと云う故事があるそうです。

若狭国(福井県小浜市)の遠敷(おにゅう)川の水が沸き出しますので、「若狭井」と云い、
毎年3月2日若狭の鵜ノ瀬で「お水送りの儀式」が行われ、ます。
その関係から福井県小浜市と奈良市は国内の姉妹都市の1つです。

国重文の「校倉」と「御髪塔」

 「法華堂(三月堂)」の南隣が「手向山八幡宮」、正面に四基づつ並んだ石灯籠の左右に、
それぞれ同じ「校倉(あぜくら)」が建っています。南側が「手向山八幡神輿庫」で、北側が「法華堂経庫」です。
この様な校倉は、奈良・平安時代の中央及び地方の官庁や大寺院に必ず在り、校倉の棟が集まった一廊を正倉院と言い、
当時は何処にでも在りましたが、長い年月で殆どの校倉が取り潰され、今も残っているのは、ここと、
唐招提寺の校倉、そして、東大寺の正倉院の校倉一棟だけです。
また、「法華堂経庫」の南隣に十三重石塔「御髪塔」が建っていますが、
これは大仏殿の再建で使用された黒髪のロープを埋めて祀っています。

「法華堂経庫」 と 「御髪塔」

手向山八幡宮  石灯籠に模様の書いた紙が貼ってありました。

奈良といえば「鹿」 と 「墨」

若草山の麓でまず腹ごしらえ。「茶粥定食」 2000円 味も分量も申し分ありません。

5時ぐらいから食堂のおやじさんのお薦めの場所へ陣取り、立ったまま待つこと2時間、
7時になると灯りが全部消えてはじまりました。

階段の下から駆け上がっていくのが見えはじめます。この日上がる松明は10本でその間20分でした。
お水取りの行われる12日は11本で大きな籠松明が上がるそうです。

聞きしに勝る雄大さでした。感激の余韻をのこしつつ、バスにて大阪まで、
その晩は「三井ガーデンホテル大阪淀屋橋」にて1泊です。

翌日はまた奈良へ戻り、お寺めぐりです。(つづく)

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