長瀞紀行 (2004年2月18日)

長瀞の蝋梅の見ごろは2月下旬までと聞いたので、いつ行こうかと考えていたら、
長瀞の宝登山神社で「北村西望の彫刻・書画展」が開かれている事をテレビで知りました。
インターネットで長瀞を検索したら、「ミュージアム長瀞一番星」の事が出ていたので、
その三ヶ所を廻ってきました。

〔1〕 寶登山の蝋梅と梅  〔2〕 寶登山神社と北村西望展 〔3〕 ミュージアム 長瀞一番星 

〔2〕 寶登山神社と北村西望展

ロープウェーを降りてから、バスには乗らずに寶登山神社に。まずはお参り。

御祭神は

神日本磐余彦尊〜かんやまといわれひこのみこと
我が国をお肇(はじめ)になられた神武天皇

大山祇神〜おおやまづのかみ
山の御神霊 無限の山の幸を恵み給う

火産霊神〜ほむすびのかみ
火の御神霊 無限の火の幸を恵み給う

創立は今からおよそ1900年前(西暦111)、第12代景行天皇の御代とつたえられています。
防火、盗難除け、諸難除けの守り神として広く信仰されているそうです。。

   


社殿には見事な彫刻が施されていました。

 
社殿の裏へまわると、「天満天神社」と「宝玉稲荷神社」 があります。

 
日本武尊が東国平定の途すがら、みそぎをされて「ほど山」に登られた 「みそぎの泉」 と 「日本武尊社」。

 
たくさんの神様をひとまとめに祀った 「藤谷渕神社」 と 「神楽殿」。

 

玉泉寺
永久元年(1113)の開基と伝え、地蔵菩薩を安置してます。
神仏分離の後は別当を廃しますが真言宗智山派に属しながら、神社とともに今に至ります。

  
山門の前には風雅な池がありました。右の道を行くとお目当ての参集殿です。

参集殿では「北村西望 彫刻・書画展」が開催中でした。
終戦前後はここ長瀞の高徳寺に疎開していた縁で地元 
の人達に送られた作品も数多く残っているようです。 

この地で西望は地元落合眼科からの依頼を受け
「薬師如来像」 を 「石膏直付け」 と言う新技法で創作。
この技法が後の 「長崎 平和祈念像」 に採用されたの
は有名な話のようです。

そして昭和33年文化勲章・文化功労賞を受け、
その後も多くの賞を受賞し、
昭和62年104歳で亡くなりました。

彫刻と彫塑のことが説明されていましたが、
どうもよく判りません。
木や石を彫るのと、粘土を貼り付けて造る違いは
判りますが、それが、レプリカ(複製品)とイミテーション
(模造品)の違いにどう関わるのかが?です。

  
「長崎平和記念像」 と 「将軍の孫」

  
展覧会の案内から拝借しました。

神社をでて寶登山並木参道を駅の方へと歩いていて、ふと上を見ると曲がりくねった枝が有りました。

 

 注連縄をはった巨木を置いて有る銘石店で
 砂漠のバラ(デザート・ローズ)を200円で買って
 きました。砂漠のバラは結晶の形がバラに似て
 いることからこの名がつきました。

 砂漠のバラはオアシスがあった場所で産出されます。
 オアシスが干上がる際に、水に溶けていた硫酸
 カルシウムが、カルサイトや石膏と一緒にバラ状に
 結晶したものだそうです。

 2002年にモロッコへ行った時、大きな砂漠のバラ  
 を沢山売っていましたが買って来ませんでしたが、
 小さいし 安いのでつい買ってしまいました。

駅へ戻り観光案内所でミュージアム長瀞一番星へ。

〔1〕 寶登山の蝋梅と梅へ  〔3〕  ミュージアム 長瀞一番星へ 

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