09年 皇居一般参観

2009年5月20日 ぽけかる倶楽部のイベント

皇居一般参観 に参加してきました。

11時に地下鉄日比谷駅のB6地上出口に集合、楠公レストハウスにて昼食。

  

 

 

出発までに時間が有りましたので楠正茂公の銅像を観に行きました。

像の完成は明治30年、スポンサーは住友財閥で、住友の別子銅山で産出した銅で鋳造されています。
製作は東京美術学校が担当。
住友から像を寄付された宮内省が台座を設置、そのうえに楠公像を据えつけたのは明治33年のこと。
当時の日本は明治27・28年の日清戦争に勝利したものの三国干渉で山東半島の租借権を放棄させられ、
臥薪嘗胆を誓った時期でありました。
 第二次大戦では軍人像などいくつかの銅像が金属供出のため撤去されましたが、楠公像は無事でした。
戦後のGHQによる占領政策でも撤去されませんでした。
台座の字はさっぱり読めません。


ぽけかる倶楽部の係員に連れられて桔梗門へと出発です。

黒松の林の中にはお弁当をひろげている人、昼寝を楽しんでいる人と様々です。
この日は暑いくらいの日差しでした。

遠くに二重橋がみえました。車どめの石です。

 

坂下門が見えています。

ここで坂下門の変の説明が有りました。

桜田門外の変の二年後に起こった「坂下門の変 」
将軍家茂への和宮降嫁に激怒した水戸浪士が、老中・安藤対馬守信正の 登城行列を襲撃した事件です。
襲撃は失敗に終わりましたが、安藤対馬守は幕府の威信を落とした罪で老中の職をはずされました。

入り口で渡されたパンフレット 皇居 の表紙 から

パンフレットの皇居案内図 から

ぽけかる倶楽部の仕事は昼食会場から桔梗門までの誘導でお終いでした。

各自 桔梗門の前に並び、ぽけかる倶楽部が代行して取得した参観許可書を提出して門の中へ。

桔梗門

 
枡形外高麗門 

 
桔梗壕の向こうを参観者の行列が進みます。

内桜田高麗門 の標識が

  桔梗門は、内桜田門といい下馬門です。警視庁前の通称桜田門は、外桜田門です。
門の瓦に太田道灌の家紋「桔梗」が付いていたので、桔梗門といわれたとする説もあります。

また桔梗門は枡形門で、この門は城門の内側にL字形の城壁を設け、あいている辺に城門を構え、
曲輪内に入るのに二つの門を通るようになっています。

外には高麗門、内には櫓門が設けられています。

内桜田門渡櫓

 

 

参観者は一旦窓明館に入り、
皇居の説明ビデオを見せられます。
一回で何人の人が参観するのでしょうか、
もの凄い人で広い会場が一杯でした。
ここにはお土産品を売る売店や、飲み物の自動販売機も
ありますが、此所以外には一切無いとの注意有り。

  

  この窓明館はこの後、皇居の奉仕団の人の休憩所になるので、参観が終わった後は立ち寄れません。

係りの人に誘導されて、大勢の人がぞろぞろと参観に出発です。

「窓明館」を出ますとすぐの左の石垣には、石を持ってきた大名の印が刻んであるそうですが、
うっかり見逃しました。


富士見櫓

 

 

富士見櫓は高さが約15.5mでどこから見ても同じ形に見えるため八方正面の櫓と呼ばれているそうです。
江戸時代にあった二重または三重の櫓は19基とも20基ともいわれています。
富士見櫓はそのうちで現存している3基(他に伏見櫓、巽櫓)のひとつで、唯一残っている三重櫓です。

初代のものは慶長11年(1606)加藤清正が建てたといわれていますが、
現在の櫓は、明暦3年の大火の後1659年に再建されたものです。
なお、天守閣は明暦3年の大火で焼失した後、幕府の財政難などの理由で再建されませんでしたので、
この櫓が天守閣の代用とされたそうです。江戸時代にはここから富士山が見えたと思われます。


内側から見た坂下門

宮内庁庁舎


宮 殿


パンフレットから

 宮殿は、儀式、行事が行われる正殿(せいでん)、豊明殿、長和殿
および天皇陛下が公務をお執りになる表御座所などから構成されています。

長和殿

長和殿は長さが167mあります。

その前庭が新年や天皇誕生日の一般参賀が行われる長和殿東庭でです。
ここの地下には、大型乗用車120台分の駐車場がつくられているそうです。

 第一回の一般参賀が行われた昭和44年1月2日に、昭和天皇がパチンコ玉で狙われる事件があり、
以後、ベランダ中央部は防弾ガラスがはめられています。

 塔は「松の塔」という。軒下に見える灯篭とともに、国民からの寄付によって造られたものです。

宮殿向かって左側の南車寄せ。訪日の国賓が来られる時に使われる玄関です。

南庭園の植え込み


二重橋

皇居のお濠には手前の正門石橋と奥の正門鉄橋の2つがあり、正確には奥の鉄橋を二重橋云います。

奥の鉄橋は、木造橋時代に、
技術的な問題から橋の下に足場のための橋が架けられている二段構造になっていました。
そこから、「二重橋」と呼ばれるようになったそうです。

手前の石橋と奥の鉄橋、2つ重なっている橋だから「二重橋」というのは正確な解釈ではありませんが、
現在では宮内庁自身も「二重橋」とはこの2つの橋の総称であると言っているとか。
二つの橋を同位置で見られる城は全国的に見てもあまり例がないそうです。
また、手前の石橋を言う場合もありますがこれは間違いです。

奥の鉄橋は、昭和39年6月、新宮殿工事の際に架け替えられました。

これらの橋は、通常は使用されず、新年の一般参賀や外国賓客の皇居訪問等宮中の公式行事の際に利用されます。

二重橋(鉄橋)のフェンスです。
傍へは寄れません。警備員がすぐ注意します。

  

電飾燈 と 警備員 → 

 

  二重橋(鉄橋)のフェンス越しに見えた正門石橋(めがね橋)

正門鉄橋を渡り、その先でUターン、また正門鉄橋を渡って帰途に。

桔梗門に向かっている時に遠くから写し(左)、拡大した二重橋と伏見櫓(右)。
 

伏見櫓

江戸城築城の第二期(三代将軍家光の時)の寛永五年(1628年)に京都伏見城から移築したものと伝えられていますが、
事実では無いといも云われているそうです。
別名で「月見櫓」とも呼ばれており、皇居で最も美しい櫓と言われ櫓の高さ約13.4メートルあります。
右に十四間多聞櫓が続いています。

 現在の櫓は大正十二年の関東大震災で倒壊し 、その後復元されたものだそうです。
このとき、崩れた土手から数体の人骨がみつかり「人柱ではないか」などと騒がれたそうで、
江戸城は大名が競って造営に当たった城であり、崩落事故で行方不明者が出てもなお、
造営が続けられたのではないか、とも言われているとか。

 

 長和殿前

長和殿北車寄せ
 

山下通り                           宮内庁裏側
 

蓮池壕と富士見多聞

石垣の上に防御と装飾を兼ねてもうけられた多聞(白い建物)は櫓の一種ですが、
倉庫や武器庫としても用いられていました。


これで皇居参観はお終いです。希望者は東御苑へ案内してもらいました。

私は桔梗門から出たところで両足が痙り、痛いので柵に寄りかかって少し休み帰途につきました。
日比谷通りに出ましたら、
スカイバス東京が走っていました。 

今日はとても暑く、疲れたのと足が痛いので、タクシーを拾って帰りました。

今回の参加費は、昼食と参観申込みの手続きとで 4,800円 でした。

イベントの案内が来たので、皇居参観する気になりました。1度は行ってみるのも良いものです。

2009年6月1日作成