2005年 大磯バス旅行

[定年時代の一日バス旅]
新春に訪ねる 湘南の文化と歴史

2005年1月21日(金) 上のタイトルのバス旅行に参加しました。

午前9時 東京駅丸の内側・新丸の内ビル横 出発
澤田美喜記念館(御堂主説明・ビデオ・80分の予定が20分程延長)〜〜〜バリ・モダン・アウラ(昼食・約2時間)
〜〜〜六所神社(正式参拝・由緒説明・ビデオ70分)〜〜〜午後6時 東京駅前解散

(1) 澤田美喜記念館  (2) バリ・モダン・アウラ  (3) 六所神社

(1) 澤田美喜記念館   
(隠れキリシタン資料館)

大磯駅のほど近く小高い丘の上に建っていました。
建物の上階は、聖ステバノ礼拝堂、一階はコレクション展示場で、展示場奥の納骨堂には澤田美喜の分骨、
 サンダース・ホームで幼くしてなくなった孤児4名の骨が眠っています。中は撮影禁止でした。

澤田美喜の生涯 −サンダース・ホームへの道−

 澤田美喜さんは1901年三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の孫として、東京の本郷に生まれました。
22才の時、外交官の澤田廉三さんと結婚し、海外各地で華やかに過ごしてきましたが、ロンドンに滞在した時、
「ドクター・バナードス・ホーム」施設を見学して、孤児救済活動に目覚め、心の目を開かれて行ったのです。

 その後、澤田さん一家は帰国し、終戦を迎えました。アメリカ軍が進駐し、多くの孤児が生まれ、
捨てられるような状況になってきました。そんなある日、澤田さんが汽車に乗っていた時、
突然、網棚から紙に包まれた嬰児の死体が膝の上に落ちてきました。
澤田さんは大きなショックを受け、この事が孤児の救済に生涯を賭ける契機となったのです。

 澤田さんは先ず、孤児たちの施設を作る為に、岩崎家が国に物納した大磯の別荘を司令部に掛け合い、
当時では大金の400万円で買い戻しました。戦後の財閥解体で岩崎家といえども財産は乏しく、
自分の持ち物を処分したり、多くの人たちから膨大な借金をしたり、
そのほか寄付を集めたりしてお金を作ったのです。
そして、最初に寄付をしてくれた英国人女性、エリザベス・サンダースの名にちなみ、
1948年に「エリザベスサンダーズ・ホーム」を創立しました。

 戦後間もない日本においては、孤児たちに対する謂れのない偏見や差別には極めて厳しいものがあり、
澤田さんや孤児たちが外出すると、罵声を浴びたり、心ない中傷や批難が相次ぎました。
しかし、そんな中にあっても、澤田さんは悲しみや優しさ、そして深い愛情をもって孤児たちを守り、
並はずれた情熱と強い意思を持って困難に立ち向かい、このホームで述べ2,000人以上の孤児たちを育てたのです。

 1980年78才で澤田さんはスペインのマジョルカ島で帰らぬ人となりましたが、生前、澤田さんはこう言っています。

「私の旅……それは、この子どもたちのために、誰からも何も言われない国、いやな見つめる目のない国、
そして、大手を振って歩ける国を求めて歩く……これが私の旅になりました」

資料名:「黒い肌と白い心」(澤田美喜 著)
「現代日本 朝日人物辞典」(朝日新聞社)

私達の世代では誰でも知っている、澤田美喜の事も、サンダース・ホームの事も 知らない世代が増えてきました。

  
門を入ると澤田美喜のレリーフが出迎えてくれました。石の階段を登っていくと、
鐘があり、さらに26聖人の十字架の階段をのぼると、記念館です。
御堂守の“鯛 茂 ”氏がいろいろお話しをして下さいました。

 

魔 鏡
鏡に光を反射させて壁に投影すると、キリストの像が浮かび上がります。江戸時代隠れキリシタンの人たちが
造り、礼拝していたとみられ、澤田美喜が戦前長崎県下で手に入れたものだそうです。
実際に外に出て、見せていただきました。確かにキリスト像がみえましたが、写真でははっきりしません(下の写真)。
上の写真は、見学ガイドブック(1000円)から拝借しました。

  

 

鏡は二重構造で、内部に十字架を背負うったキリスト像が彫られているそうです。
魔鏡は神秘的な存在であるため、江戸時代から主に宗教の行事に利用されていたようです
テクノロジー(T)とアイデア(I)の思いを込めて、高岡の地場産業である、高岡銅器の4つの企業が集まってつくった
グループ T&Iは、江戸時代から伝わる秘伝の技法を、独自の新技術で「ミラクル・ミラー」と名付け、
アクセサリーやステーショナリーなど、商品化しているそうです。(インターネットで調べました)

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